輝
2022年2月21日 19時00分正門から入ると職員室の前に、大きく「輝」と刻まれた石碑があります。
これは、2016年2月4日に除幕式を行った、栄光を称える石碑です。
最初に名を刻んだのは、柔道部で活躍した生徒でした。
みんなでひもを引っ張って、石碑が披露された光景を懐かしく思い出します。
今年度、この石碑に新しく名前が刻まれることになりました。
19日(土)朝
石碑が運び出されていました。
正門から入ると職員室の前に、大きく「輝」と刻まれた石碑があります。
これは、2016年2月4日に除幕式を行った、栄光を称える石碑です。
最初に名を刻んだのは、柔道部で活躍した生徒でした。
みんなでひもを引っ張って、石碑が披露された光景を懐かしく思い出します。
今年度、この石碑に新しく名前が刻まれることになりました。
19日(土)朝
石碑が運び出されていました。
平成24年11月23日、怪獣の猛進撃が進んでいます。
美術室から理科室前の渡り廊下付近です。
左 生徒玄関 中央奥 PC教室・木工金工室 右 美術室・理科室
11月26日です。
工事現場では、こまめなゴミの搬出が重要です。
袋に詰められたゴミの周りは、比較的清潔です。
ゴミを積んだトラックが何台も去って行きました。
一方で、割れたガラスがとりあえず放置されているのも、工事現場です。
疲れ切った怪獣の頭部が、しばし休みを取っています。
さて、これはかつて何の小屋だったのでしょうか。
答え 美術室横の陶芸小屋でした。
2月3日(木)全校生徒が、古い椅子と机と新品の木の椅子と机を入れ替えています。
新しい椅子と机は、とても重く運ぶのが大変でした。
でも、これからは新しい木の椅子と机を使わせてもらうと思うと、つらさを忘れました。
ちょっとした祭りっぽい雰囲気を、たくさんの写真で醸し出して(かもしだして)みます。
ここは、古い椅子と机と新しい椅子と机の交換所。マイチェアとマイデスクとの出会いの場。
新しい椅子と机を抱え、帰途に着く これは、最高の気分だ
新しいパートナーを探している どこにいるんだ?
古い椅子と机が、整然と並べられている。
この中には、他の係をしている友達や、学校を休んでいる仲間の分も運んであげている人もいる。
しかも、何往復も。
引換所からは、次から次と新しい椅子と机が運び出されている。
彼らは、体育館の前で特別なミッションを引き受けた1年生の特殊部隊である。
「そこの1年生!君たちは『五人の侍』か?!」「いいえ!『ゆかいな仲間たち』です。」
新しい椅子と机の入城だ!(いつからお城になった?)
教室に帰ると、なぜかホッとするね。するする。
教室に帰ったら、椅子の足の裏に「消音パット」を貼りました。
(これが、優れ物!実に静か)
さあ、これで明日から新しい気持ちでがんばろうぜ!おう、がんばろう!
2月3日(木)全校生徒が、古い椅子と机と新品の木の椅子と机を入れ替えています。
新しい椅子と机は、とても重く運ぶのが大変でした。
でも、これからは新しい木の椅子と机を使わせてもらうと思うと、つらさを忘れました。
ちょっとした祭りっぽい雰囲気を、たくさんの写真で醸し出して(かもしだして)みます。
そして、とりあえず何もなくなった…。
白い椅子と机が並び始めた
ここからは、別のカメラマン
古い椅子と机すべてを処分するわけではありません。特別教室のもっと古い椅子や机と交代させることもあります。
となりの部屋で、これからも使ってあげるね
まだ咲かぬ桜の木のそばを、椅子と机を持って歩くのだ
松野の風に吹かれながら
平成24年11月21日です。
校舎の取り壊しと並行して、庭園の大伐採が行われています。
松野中の大きな財産だった大庭園でしたが、確かにここに手を下さなければ工事車両は自由に動けません。
何よりここに、今の校舎が建設されたのです。
校舎解体の最初の印象は、窓がなくなるということです。
私たちは、窓に守られていた。ここは美術室。
11月22日です。
円形庭園に緊急避難していた大きな石は、生徒玄関のわきにやられ、庭園は平らにならされてしまいました。
運命に翻弄されている石たちは、改築後大切にされるからこそ翻弄されているのです。処分される石や植物は、ある日私たちの前から消えています。
2階・3階の教室から、解体の過程のこのような様子を見ながら、生徒は勉強していました。
生徒玄関から、下駄箱が搬出されました。
左は美術室 右は陶芸釜があった小屋
9年以上前のことに記憶が定かでなくなってきた今でも、これは理科室であることはわかります。
足元に整然と並んでいるのは、各机につながっていた電線やガス管、水道管だとわかっているからです。
怪獣が暴れた跡に、ロッカーが残っています。
今回はまず、取り壊される前の「美術室」「美術準備室」をご覧いただきます。
美術部に所属していた卒業生の皆さんには、思い出深い場所ではないでしょうか。
ここからは、美術準備室です。美術の先生にとっての基地です。
なんとも言えない雑然さに、数十年の時の重なりを感じる
この場所で、授業の合間に一息つかれていたのでしょうか
ブログ「旧校舎と校舎改築の旅2022.1.23」では、重機による旧特別校舎の解体の始まりの様子をお届けしました。
同じ日に、意外なビッグイベントが行われていました。
数々の消防車両・救急車両が、松野中学校に集結しています。そして、校舎改築の工事現場の入り口には、ある看板が立っています。
「訓練中 鬼北消防署」の文字が
様々な、消火道具、救出器具の向こうに少なからぬ人が集まっています。
そして、何かが始まりました。
美術室のドアのガラスを割り、巨大な電動回転のこぎりで鍵をこじ開けています。
そうです。間もなく解体される校舎を使った消火訓練・救出訓練が始まったのです。
先ほどの訓練の跡です。効率的なガラスの割り方、ドアの鉄板の切り方が考えられています。
続けて、美術準備室のドアの前で、若い勇敢な消防士の一団が円陣を作っています。
そして、大声で声を掛け合い大切な事柄の確認をしています。
そしていよいよ救出作戦開始!突入!
後方部隊は、ドアの外から監視と必要な援護を!
訓練の結末や、いかに!
〈続く〉
ブログ「旧校舎と校舎改築の旅2022.1.16」から、旧特別校舎の取り壊し(重機による建物の破壊)が始まりました。
今回はまず、取り壊される前の「被服準備室」「被服室」「洗濯室」をご覧いただきます。
洗濯室には、独特な形の流しがありました。調理のためにも使っていたのかどうか、覚えていません。ただ、流しの形を見ると、あの頃にタイムスリップします。
キャンプ道具の物置にもなっていた
校舎改築に戻ります。前回、理科室に進攻した重機の激しい破壊行為をご覧ください。
重機の先に取り付けられた部分が、まるで怪獣の頭部のようです。
スクラップアンドビルド…。建物が改築される前には、このような作業員の皆さんと怪獣による力づくの奮闘があるのです。
壊される建物から聞こえる轟音は、怪獣の叫び声に聞こえました。
平成24年11月12日、工事事務所が建設されました。ここは、工事関係者の行動の拠点であり、様々な指令の発信所です。また、月に一度、教育委員会と学校の管理職が呼ばれて、工程会議が開かれました。そこでは、進捗状況の説明、教育委員会・学校からの質問や要望が出されました。
11月15日です。生徒玄関や旧特別校舎を取り囲むように、フェンスが築かれました。次々と工事作業のための資材が搬入されています。
工事現場は危険がいっぱいなので、私たちは、もう入ることができなくなった
11月16日、各教室から、ゴミが裏側に出されています。それが、搬出用コンテナに収められています。
作業員の皆さんのための、仮設トイレです。
工事車両の通行のために庭園の一部をとりあえず削るため、大きな石が移動させられています。
11月17日、大きな石が「とりあえず」円形庭園に「保管」されています。松中伝統の句碑が、「とりあえず」撤去されています。
11月19日、旧特別校舎の裏の林が切り倒されました。
そして11月20日、ついに校舎内への「重機の進攻」が始まりました。
〈続く〉
平成24年9月25日、プレハブの仮設校舎(冷暖房完備)での授業のスタートです。
9月26日より、生徒玄関が旧校舎から仮設校舎に移されました。
9月28日、電気工事関係の方の手によって、旧特別校舎の電気が停止されました。
10月13日、旧特別校舎の蛍光灯とカーテンが外されました。
結果的に再使用はされませんでしたが、ゴミとして搬出されるときには分類されていることが重要です。
11月1日、取り壊される前の木工室です。今は存在しない機械もたくさんありました。
11月10日の工事は、校舎改築のプロセスにおいて、大変象徴的な出来事でした。
旧校舎とその一部分である旧生徒玄関が、これからもしばらく使う販売室の少し向こう側で、壁によって遮断されました。
このときから、松野中学校の敷地の中に、生徒であっても先生であっても入ってはいけないエリアが作られ始めました。